アリ地獄の街を変える。バングラデシュ、渡辺大樹


 

 渡辺大樹、1980年生まれ。高校時代は野球、大学時代はヨットに明け暮れる。タイで開催されたヨットの国際大会に参加していた時に、何気なくバスの中から見た景色がスラム街だった。そこに住んでいたストリートチルドレンの瞳に大きな衝撃を受け、そこから自分の人生をかけて、貧困に対して取り組む事を決意する。単身でバングラデシュに乗り込み、ダッカ大学で勉強した後、2003年8月に現地の大学生達とEKMATTRAを立ち上げて今に至る。社会的弱者への教育を拡げて行くこと、裕福層に対して現状を知ってもらう啓発活動を行っている。バングラデシュの問題は、バングラデシュの人間で解決できるように、現地でまわる仕組みを創るべく活動をしている。

 

01 アンテナとタイミングに響いたからこそ

 『バングラデシュでこういった活動をするきっかけはなんだったのか』、良く聞かれます。僕のきっかけはバスの中から見たスラム街にいるストリートチルドレンの瞳だったのですが、その時のタイミングと僕のアンテナに引っかからなければ、今僕はここにいないと思います。

 大学4年生の時にタイで開催されていたヨットの国際大会に来ていたのですが、部活としての大会も終わっていたこともあり、どこか自分の中でやり遂げ症候群のように空っぽの気持ちだったんですよ。その空っぽの気持ちに、子供たちの瞳がぐっと心に響いた。2週間ずれていたらそんなことにはなっていなかったと思います。

 そして同時に、小さい頃からアジアの最貧国バングラデシュの話は耳にしていて、漠然とイメージはしていたんです。アジアという同じ地域の中でこんなにも違う場所がある。その自分の『アンテナ』に衝撃が伝わり、バングラデシュに来ました。タイで空っぽでこれからを考えていた自分と、昔から頭の片隅にあったバングラデシュへの思い。このタイミングと、アンテナに響いたからこそ僕は動いたんですね。

 日本に帰ってから1ヶ月くらい真剣に考え抜きました。『日本で生まれた僕は何にでもなろうと思えばなれる。ただ、あそこにいた彼らに、果たして選択肢はあるのだろうか。』大学生の一番自由に考えられる時期に、コレだけの衝撃を受けて、ろくに他の事も考えられないことであれば、これから僕がとる選択に後悔はないだろうと思い、そこから死に物狂いで、バングラデシュへ移動するための資金を貯めました。一切金を使わないようにするため、何キロもバスを使わず歩いたり、缶ジュースですら買わずに節約していました。それだけの思いで金を貯め、80万円貯まった一年後に日本を出てバングラデシュに行きました。僕が22歳の時でした。

 

 

02 吐いて苦しんだ経験から、スーパーマンになった自信

 話が少しさかのぼりますが、高校生の頃、ずっと野球をしていたのですが毎日練習の時にランニングがありました。そのランニングでは毎日時間を計っていたのですが、ある時から僕のタイムだけ遅くなり続けました。練習を続ければ続けるほど、鍛えれば鍛えるほど、遅くなっていく。周りの仲間からは置いて行かれ、まったく成長しない自分の不甲斐なさに悔しくてたまらなかった。毎日吐くほど練習してもうまくいかない、タイムは遅くなる一方、常に最下位。僕はスランプの様な状態で何もかもがうまくいかなかった。この時は初めて『死』すら覚悟しました。

 こうした状態が二年間続いた。そんなある時、胸が痛くなり医者に見てもらうことになったのですが、レントゲンをとってみると、なんと胃に穴があいていて、自分の血液の3分の2が常に流出していたことがわかったんです。死んでないのがおかしい程でした。すぐに医者にかかり、治すことになりました。

 そして、病気を治して以降、練習に参加するとまるでスーパーマンのように駆け抜けることができ、ランニングは常に一位。今まで血液が人の半分以下で練習していたということは、練習の辛さは人の倍以上。僕はこの超過酷な練習に耐えてきたんです。もう誰にも負けませんでした。

 3年の終わりの時に開催されたマラソン大会では全校生徒の中で見事20位以内に入れて、賞状をもらえたんです。今まで常に最下位で、吐いて毎日のように苦しんでも、がむしゃらに練習をし続けて、それに耐えてスーパーマンになったという自信があるからこそ、僕は何でもやり遂げられるという根拠の無い自信があります。この自信がバングラデシュに乗り込んでもどうにかなるという根拠の無い確信に繋がっていました。

 


 

03 皆が共有できる一本の線、エクマットラ

 ダッカ大学に入学して、現地の大学生と始めたこのエクマットラの活動ですが、約9年経った今も同じメンバーが、同じ意識を共有して活動を進めています。それが今までの活動を生み出してくれて、一人では何もできなかったのではと思うくらい彼らの存在が大きいです。

 そのエクマットラの活動ですが、活動内容は大きく分けて二つ。エクマットラでは社会的弱者、ストリートチルドレンへの教育活動と、結果的に抑圧する側となっている社会の裕福層への啓発活動の2つを軸に、活動を行っています。親の事情でひどい生活を強いられている子供たちへの教育活動として、青空教室、そしてシェルターセンターで寝泊まりをしながら食事と寝場所、教育機会を与えてます。一方、バングラデシュの裕福層への啓発活動として、ダッカに内在している問題を考えさせる映画を制作して皆に気付きを与えようとしています。ベンガル語でエクマットラとは、皆が共有できる一本の線、という意味なんです。 社会的に存在する大きな格差、溝を埋めていくためには双方の歩み寄りが必要だから、二つの切り口から取り組んで一つの線にしたいと思ってます。

 僕らは収益事業も手がけていて、企業の依頼でつくる映像制作の仕事、そしてレストランの経営も行っています。やはり外交の色がついているお金を受け取ると動きづらいことも分かったので、自分たちで金を回せる仕組みにしています。

 

 

04 天職などない。イマを楽しむだけ

 僕、天職なんてないと思っているんですよ。僕はボブスレーではプロだし、カーリングではオリンピックで活躍できるかも知れません。なぜなら、そちらの道は選ばなかったし、やったことが一度も無いからです。だから、もしかしたらそこに才能があるかもしれない。でもその選択はとらなかった。今の世の中は選択肢があふれすぎていて、あれもこれもどれが自分にとって天職か悩む人が多いじゃないですか。結局、自分のやっている事を楽しんで、それが天職になるって言うことだけなんですよ。確かに僕は同世代の日本人と比べたら一番稼いでないかもしれません。でも、誰よりも今を楽しんでいる自信があります。同世代の中で、世界一楽しんでいます。それぞれの時期の選択を合わせると今ここにいる可能性って天文学レベルの確率です。でも今が本当に楽しいから、今まで僕が取ってきた選択肢というものはすべて正しくて、そういったことからすべての選択肢に感謝しているんです。

 

 

05 外モノだからこその強み

 外国人である僕が、路上にいる鼻水まみれの子供を抱きしめたり、娼婦街をまわる活動をしているのを、周りのバンガル人が見て、外国人である日本人があんなに一生懸命頑張っているのだから僕たちもやらなければ、という思いに導き易かった。

 何より一番の強みは、外国人である日本人の僕が流暢にベンガル語を話せることで、通常では絶対に会えない人々に会って話せるようになったんです。日本人が、自分たちの国の文学を学んで自分の国の言葉を話しているんですよ。それって彼らにとっては非常に嬉しいことなんです。ベンガル語ができるという強みで、心の壁が簡単に超えられるんですよ。これは外モノだからこその強みだと思います。

 



 

 

06 僕の力だけでは、世界を救うことはできない

 僕はこのエクマットラが現地グラスルーツの人々の間で、うまくまわってくれるように取り組んでいます。確かに僕の助けられる子供たちは15人かもしれないし、20人かもしれない。

 僕の力だけでは全員を助けることはできないし、世界を救うことはできない。でも、そういったストリートチルドレンがエクマットラを通して成長して映画俳優になったり、レストランの経営者になったり色んな可能性が開かれた人生を歩めることで、一つのロールモデルを示すことになると思っています。『あ、僕でももしかしたらこういう風になれるかもしれない。』この可能性を拡げて行くことこそがエクマットラの役割だし、それが現地の人の中でまわれるように仕組みを作るまで僕はここに骨を埋める覚悟です。現地の問題は現地の人が解決できるよう、他に依存せず、自立できる仕組みを創ります。毎年同じことを言っていますが、後15年から20年くらいしたら日本に帰れると思います。笑

 


 

話を終えて:『青い鳥を求めて旅する』

 ユダヤ人大富豪の教えという本では、『青い鳥を求めて旅する』、つまり好きなことを探す旅に出るという話がある。今やっている事は自分のやりたいことと違うから、旅に出る。しかしその旅から一生帰ってこない人もいる。自分探しと題して旅をするが、別に本当の自分がインドにもアフリカにもいるわけではない。自分のやりたいことを見つけるには、心の持ち方を変えて行く必要がある。

 青い鳥を求めて旅をすることは確かに大事かもしれない。しかしそれ以上に、今自分のやっていることをとにかく楽しむ事。これだ!というものに巡り合ういちばんの方法は、いまやっていることが何であれ、それを楽しみ、愛すること。全力で目の前のことを楽しみ、努力をし、成果を出したなら、導かれるように次々におもしろい出会いやチャンスに出くわす。

 渡辺さんは、確かに給料、金の豊かさは他の人よりも随分少ないかもしれない。しかし、世界一、楽しんでいる自信があるという彼は、自分の天職を作り、人生を遊んでいる。そんな渡辺さんと熱く話していた翌日、彼は盲腸で入院してしまったのだが、そこでも楽しさを見いだして、入院中に一緒に焼き肉を食べる真似をする、エア焼き肉を食べました。どんな状況でもその場を楽しむ!笑。(下写真)

どんなところでも、馬鹿のように楽しめる人こそが、人生を謳歌できるのだ、と学びました。

 


 

成瀬

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